七日目 中国 大連 何もかもわからない!

中国は韓国のようにはいかなかった。漢字が近い分、韓国よりはわかりやすいかな、なんて思っていたが、英語も全く通じない上に漢字はもう原型を留めていないような省略型ばかりで、全くわからない。まず、入国の際に荷物検査をされたのがとても嫌だった。今、ちょうどチベットで暴動が起きているから特別に警戒しているのかもしれないが、下着の入っている袋まで細かく見られたのには、さすがに悔しい気持ちになった。国が違うのだから、と諦めなければいけないことなのだろうか。船から降りてからどうしていいのかわからなかった。観光案内所らしき場所も見あたらないし、タクシーの人たちがかけてくる言葉も全くわからない。まごまごしていると、昨日スルメをくれたあの韓国人が、救いの手をさしのべてくれた。まず、駅まで行くにはタクシーに乗るのが安全です、と言う。近かったら歩いていこうと思っていたが、そういってくれたのでタクシーに乗ろうと思う。しかし、韓国ウォンを元に両替していないことに気がつく。言うと、え〜まず両替しないとダメです、友達がしてくれるので、しましょう、と言われ、ターミナルの外の小さなお店の中に入っていき、電卓で計算して出してくれた。w80000位しかなかったのを見て、「これだけですか?これだけしかないの?」と何度も言われ、恥ずかしくなりながらも両替してもらう。それが680元くらいになったのかな。そして、「私の友達がタクシーまで送ってくれる」と言い残して、その人は去っていった。いつもにこにこ笑顔の、すごく日本人的な感じの良い人だった。韓国と中国との運び屋をやっていて、三ヶ月に一度くらいの感覚で船に乗っているらしい。この人たちにとっては、もう勝手知ったるターミナルだ。本当にありがとうございました。そして、その人の友達という人について、タクシーの所まで行くと、タクシーに行き先を告げてくれた。私は助手席に乗るように促される。タクシーのおじさんの運転はひどいもので、前方にちょっとでも何かあるとプップープップー鳴らす。私は前も後ろもパックを背負っていて、シートベルトを締められる余裕はなかったのでとても怖い。おじさんも何も言わないし…。と思っていたら、急に指を二本、ピースサインのように立てて何か言っている。私は先ほど両替した10元札二枚を出した。おじさんはうなずいてそれを受け取った。中国に関しては一切なんにも調べていないので、相場がわからない。しかし、目的の大連駅に着く直前、なぜかおじさんは急にメーターを上げた。そこには8という数字が表示されている。これをまた払えと言われるのかと思ったが、特に何も言われず、おろしてくれた。降りるときに、「さんきゅうばっばい」と言ったのだが、笑顔で「ばっばい」と返してくれた…。私は払いすぎたのか、20元にしてくれたのかはわからない…。でも、メーターは倒してもらうように始めにお願いしないと行けなかったのだろうな。恐らく払いすぎたのであろう。

大連は韓国までの様相とはまるで変わる。高層ビルが建ち並び、ホテルやデパートが華々しく街を彩ってはいるが、車の往来が激しく、人々は信号など全く見ないで闊歩している。まずは宿を探さなければならない。今まで、日本にいた頃だって、予約なしの飛び込みで宿泊する事なんてほとんどなかったのに、異国の地でそんなことが本当にできるのだろうか。だけど、この通過儀礼を難なくこなせるようになって初めて、バックパッカーの仲間入りを果たせるのだ。やらなければ野宿になるだけ…。自分を励ましながら、安宿を探す。しかし、よく、駅には客引きがわんさかいる、と聞いていたが、私には全く声をかけてこなかったな…。こんなにでっかい荷物を背負っているのに。気がつけば2時間くらいたってしまっていた。入る勇気が万全でないのと、イメージにあった所がなかなかなくて、決めかねていた。本当に、こんなぼろい格好で入っていっても泊めてくれるのだろうか…。とにかく、聞いてみないことにははじまらない。初日くらいは少し値段がしても良いから、とにかく情報を収集できるところを探さなければ。と、思い切って、少し高級そうな店構えの酒店(たぶんこれがホテルの事だと思う)に入った。入るなり、四人の中国人が、出迎えてくれる。いきなり面くらい、焦る。英語で、話しかけてみる。でも通じない。一人一人、やはり中国語で何か聞いてくるが、さっぱりわからない。どんどんてんぱる。とりあえず、そこにいてもみんなが変な顔や困った顔をするだけで埒があかないので、中の受付まで入っていくことにする。しかし、何を言われているのか、聞かれているのか、もうてんぱりすぎてわからない。あまりの苦しさに、ソーリーソーリーといって逃げ出してしまった。接触失敗である。ああ、こういう失敗体験を積むと自信がどんどん失われていく…。でも、今頑張らなければもっと怖いことになる。とりあえず、もう少しフランクそうなところへ行くことにしよう。次に入ったところは、安眠祈店というところだった。やはり、先ほどと同じく全く通じないし、みんな変な顔をする。それにしても、韓国と比べて何かが違う。韓国ではわからないなりに私の行動をかなえようと努力してくれる人が多かった。しかし、この国の人たちは、あまりそういう雰囲気がない。わからない、で終わりなのだ。現に、私が道を聞いたときも、首を横に振るだけで何も言ってくれない人もいた。甘えてはいけないんだ。だが、ここの宿のオーナーたちは、何もわからない私にあきれつつも、最後まで理解しようとしてくれた。そして、40元と70元の部屋の二つを提示してくれたのだ。シャワーつきということで、70元の方に決めた。私は昔、レンタルビデオ屋で働いていたとき、いつも英語でいろんなクレームをつけてくる人に、「あなたは日本語をもっと勉強しなければならない」ときつい言い方で注意したことがあったが、何て冷たい言葉を投げつけてしまったのだろうかと今になってみて思う。言葉の通じない外国人の心許なさというものが、とてもよくわかる。

やっと荷物を置いて街へ繰り出す。少し歩くとすぐに大連駅が見えてきたことから、結局駅周辺をぐるっと大きく回って戻ってきたようだった。朝から何も食べていなかったことを思い出し、百年城の5Fのフードコートでご飯に焼き豚肉が添えられている物を頼む。あんまりおいしくない。また、これからのことを考えると、あまり喉を通らない。ネットカフェを探して何とか情報を得たかったが、どういう漢字がそれに当たるのかがわからない。韓国では「PC」と、これでもかと大きく表示されていたものだ。それでも何とか気を紛らわせようと、ショッピングをすることにした。私は出発からずっとロングスカート一枚しか持っていなくて、とても心細かったので、ズボンを買うことにした。何軒かのお店で試着するもなかなか似合う物がない。あるところでは、試着室から出てきた私のあまりのパンツの似あわなさ加減に、英語で快く話してくれていた店員さんも言葉が出て来なくなるほどだ。ふと、誰かに付けられている事に気がつく。駅の地下の商店街で、私の周りをウロウロしている男がいる。カーキのジャケットを。腕を出さずに着ている。人民服っぽい出で立ちだった。またかよ…。いったい何なんだろう。そう思いながらも、ミリタリーショップに逃げ込む。気に入った物があったので試着していたら、何とその男が店の中まで入ってきた。私が、そいつをにらみつけると、何やらこめかみあたりで指を頭の上に指すような、おかしな合図を送ってくる。目は冷たい感じだった。もしかして、死ね、というサインだったりしないよね? 一瞬で血の気が引く。韓国の時とは違って、何か本能的な恐怖を感じた。慌てて逃げ出す。地下から上がってもついてくる。ホテルに逃げ込もうと思ったが、宿泊先がばれることも怖かった。そして、地上に上がってまた降りて、を繰り返しつつ、あるとき地下に降りて猛ダッシュした。恐怖のあまり息が切れる。少しだけ下に降りる階段があったのだが、そこで足を滑らせて、思いっきり転んでしまった。周りから、少し笑い声が聞こえた。もういやだ、帰りたい。何で私は旅なんかに出てきているのだろう。泣きそうになりながら心底そう思った。周囲の反対を押し切って自分勝手にしている結果がこのざまなのか。まだ旅は始まったばかりだというのに。いつの間にか、その男はついてこなくなっていた。どこで振り切れたのかはわからない。蔵前さんの旅行記では、おばさんが勝手に後をついてきて、どこかへ入るときこっそりとマージンをせしめたりする、と書かれていたが、そうであってほしかった。何か別の意味があったわけではないと…。私は、自分の中で中国・韓国には潜在的・顕在的に恐怖心を持っていることを知っている。昔、大学生の頃に、夕寝をしていたら、空き巣に入られたことがある。そのとき、泥棒は私の顔にライトを照らしただけで逃げていったが、恐怖心を残していった。警察の調べや近所の人の状況に寄ると、ここ最近そういう事件が多発していて、韓国人や中国人の仕業らしい、ということを聞いた。私の恐怖はそのままこの国の人たちに受け継がれてしまったのだった。また、三角帽子を被せて罪人を血祭りにしたり、西太后、数々の中国四千年の歴史…。人間のキャパシティが小さい私には、どだい一人旅など無理なのではないか。早くも挫折しそうになっていた。とぼとぼと部屋に戻ると、ホテルの人が温かい笑顔で迎えてくれた。ホテルと言うのは、旅の間の家なんだよな…、と妙にほっとする気持ちになりながら思った。

まだ午後6時くらいだったが、今日はノートを広げて気持ちを整理したい。旅に来て初めて、ノートの中に入っている音楽を聴く。ありきたりな言葉だが、このささくれだった心は、音楽が癒やしてくれた。中でも、イマージュに収録されていつ「古都」という曲を聴いていると、旅に出たくなった気持ちまで思い出させてくれる。旅に出る前は、しょっちゅうこれを聴いて旅に出たい気持ちを高めていたが、実際に出た今では、古都のとてもよく似合うこの国で心に吸い込むように入ってくる。この素晴らしい曲は、保身ばかりではいけないのだと教えてくれたようだった。ちょっとそこまで…という生半可な気持ちで旅に出た訳じゃなかったはず。きたからには、見るべき所は見て、行動するべきなのだ。楽しい安楽ツアーとは違うことを、しっかりと確認しなおそう。そういえば、留学のときに買ったNOKIAの携帯電話を持ってきていたんだっけ。この部屋のタップにはいろんな形があるが、三つ穴もあるみたいだから、もしかしたら充電できるかも…。できた! 約4年半近く使用していなかったNOKIAが生きていた! 半分諦めていたが、これは嬉しかった。早速持ってきていたAUのチップを入れてみる。お〜、CMCC KDDIと表示されている〜!さらに、昔に当地の友達とやり取りしたメールの内容まで残っていた。これは嬉しかった。すごく楽しかったあの日々が鮮やかに思い出される。シンガポールも、中国人が街中に溢れていたけど、英語も使えたしこんなに孤独な気持ちになったことはなかったな…。いや、そんなことはない、あったか。確かあのときも私は来た当初、慣れない生活にノイローゼ気味になり、当時はコンドミニアムに付随していたプールで泳いだりしたのだった。何かを吹っ切るようにクロールで激しく泳いでいても、どんどんどんどんゴーグルの中に涙がたまって泳いでいられなくなってくるあの感覚は、忘れていない。でもそれも、友達が出来たことで嘘みたいになくなっちゃったんだけどね。そうだ、私は今、人とのつながりがなさすぎるのがいけない。だけど、繋がったらそれはそれでしんどくなるのかもしれないけど…。とにかく何か変えていくことが必要なのだと思った。NOKIAで日本に電話してみた。嬉しいことに繋がってくれた。あたたかい声を聞くと戻りたくなる思いが強くなるから、そして料金が激高だから早めに切った。明日から、また前進していこう…。





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