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十九日目 ベトナム(ラオカイ、ハノイ) 初の国境越え、そしていきなりぼられまくり こうやって日記に日数を記入していると、もう19日も経ってしまったのかと驚くばかりである。 もっと早く中国を脱出していればよかった。父親のところで無駄にゆっくりしすぎていたのが尾を引いた。 しかしまもなく二十日になろうというのに、全く旅慣れておらず、それどころか逆にびくびくしてばかり。 旅の楽しさを全然感じられていないのである。何しに来てるんだろう…相変わらずそればかり思ってしまう。 私は一体、何を求めて旅に出たのか…。こういう試練に耐えるためだったのだろか。 もちろん小さな感動は幾つもあった。バスが河口につき、ベトナムへの国境を歩いて超えたとき、おもしろいなあとは思った。 しかし、私は昔、よく神奈川から東京への境目を車で日常的に行ったり来たりしていたことがあったが、それに似ているなあという感覚だった。 感受性に乏しく想像力が貧困だからなのか、今は余裕がないからそうなってしまうのか。それとも、共に喜び合える仲間がいないからだろうか。 それでも、橋から見えるベトナムの町並みは、明らかに中国の物とは異なっていて、どこかメルヘンのような、アニメ的なかわいらしい外観をしていた。 一見してわかる違いは、緑がその景色の中でかなりの割合を占めていることだ。 イミグレは、実にあっさり通れた。ビザ代などのお金も必要なかった。イミグレの人に、駅までの行き方を聞いたところ、出口の前にツアーリストインフォメーションがあるから聞いてみな、と言われた。出口からは、旅行客を今か今かと待ち受けているバイタクやタクシー、なんと言って良いのかわからない乗り物の運転手たちでごった返していた。そこに頼むよりは、こちらでいろいろ聞いた方が安心だろう、と、私はその場にいた女性に声をかけた。ハノイまで行くにはどうしたらいいのですか? 「ハノイまで行くなら、私があなたのために切符を取ってきてあげます。両替が必要なら両替します。270元ですか? じゃあそれを570000ドンに交換してあげます。そのうち、200000ドンで取ってきてあげます。それでいいですか? それから、ブラックマーケットに関わってはいけませんよ。あなたはトラブルに巻き込まれるでしょう」 後ろを見ると、客引きのおっさんたち、顔が怖い怖い。私はそれにうなずく他すべはなかった。しばらく時間がかかるから、その辺で朝食でも取ってこい、と言われたので、街をブラブラ散歩してみることにした。 アジアである。周りの景色全てが、いかにも東南アジアである。私がずっと憧れてきた、絶対にいつか一人で来たい、と思ってきたアジアだった。 しかし…。やはり全てを陸路にするべきだったか。私は早くも飛行機でショートカットしたことを悔やんでいた。上海から昆明まで飛んでから、異国の地にきてしまった、という感覚があった。上海までは、空を飛んでいないため、どこか世界が繋がっている感じかしていたのに、それが途切れてしまった。もしもバスか電車にしていれば、もう少し地球の一体感が感じられたのかも知れないと思うと非常に勿体なかったように思える。 喫茶店でコーラを一杯飲んでから、元来た場所へ戻ると、お姉さんはまだ出てすらいなかった。そして私を見ると慌ててバイクに乗って出て行った。 かなり待ち、戻ってきて切符を渡され、駅まではバイタクやタクシーなどを拾っていってくれ、と言われる。私はもしかしたらお姉さんが乗っけていってくれるんではないかと淡い期待を持っていたがそうではなかったらしい。その後、何を言っているのか全くわからない男達に取り囲まれ、とりあえず駅に行きたい、と言うと、その中の誰かが50(000)ドンと言ってきた。私は50(000)ドンがいくらなのか計算すらしておらず、よくわからないまんま、OKと言ってしまった。横にいた男が非常に悔しそうな顔をしたり、あきれた顔をしたり、首を切られるポーズを取ったりしていたので、多分高かったのだろうと思う。 男が連れて行った先に待っていたのは、トゥクトゥクを大きくしたような乗り物だった。こういうタイプの車は乗り合いだったらもっと安くできるんだろうなあ。バイタクの運転手の所まで行かなかったことを少し悔やんだ。そして、落ち着いてからチケットをよく見直してみると…。なんと、チケット代が88(000)ドンだと言うことが判明した。 あのチケットを取ってきてくれたお姉さんは2倍以上も吹っかけていたということだ。さらに、駅には割とすぐ着いた。50(000)ドンはハノイまでの電車代に比べるとやっぱり高すぎたという気がする。駅にはチケット売り場があったので、あの女(言い方変わります)はここまできて普通に買って戻ってきただけだったのだろう。どこかでラオカイからハノイまでの切符を買うのは非常に難しいという情報を見てしまったからだったが、それは人気だから取りにくいと言うことだったかもしれなかった。億劫がらずに自分で買えば良かった。何にしろ楽をしようと思えば金がかかるだけだ。そういえば、昆湖飯店で出会った女の人が言っていた言葉を思い出す。「インドはそんなにぼってきたりしなかったよ。ベトナムなんかに比べると全然…」 電車は特に遅れることもなく来た。木製のベンチ、三人がけだ。かなり硬くて狭い。座って発車を待っていると、物売りのおばさんにお茶やチョコレートを勧められた。とりあえずお茶を頼んだ。お茶代が10000ドンだというのに100000ドン払おうとしてしまった。こういうところがつけ込まれる隙になる。おばさんは丁寧に、これは10000ドン、これは100000ドン、などとお札の数え方を教えてくれた。そういえば朝から何も食べていなかったため、少しでも腹を満たそうと、このおばさんにチョコレートを持ってくるように頼んだ。さっきは後払いでお金を払ったが、今度は先払いで払った。おばさんは戻って来なかった…。 発車直前に、ベトナム人の女の子三人組が乗ってきた。私の席の隣だった。私の顔を確認してから、ハイ! とか元気な笑顔で言ってくる。 こんなにフレンドリーに挨拶されたことなんて、中国ではついぞなかった。アジアに来たんだな、とまたしても実感する。それからいろいろ聞かれる。どこから来たのか、どこに行くのか、名前は何だ、などなど。英語を話せる女の子は一人だけだったようだ。その子の名前はヒッと言った。他の二人の名前は失念してしまった。彼女たちは私に次々と肉まんやオレンジなんかをくれた。どうやら多くを買ってみんなでわけあうのがこの国のスタイルなようである。しばらくすると外人をいじるのにも飽きてきたのか、三人だけで騒ぎ出した。私は三人を観察することにした。おもしろいぐらいにキャラがはっきりしている三人組だった。ヒッはキュートで声もかわいくいかにも女の子っぽい感じで、もう一人はボーイッシュで男勝りな感じ。もう一人は、グラマラスでセクシー系。みんなすごく仲が良くて、会話は途切れることをしらない。なんだか全身で会話しているように見えた。何かおちゃらけたことを一人がいうと、他の二人からぼかすか殴られる。とにかくスキンシップが多いのだ。 私は、その子たちを観察していて、留学していた頃に出会ったベトナム人の女の子、トレーシーを思い出していた。彼女は16歳なのに私と同じ英語学校に朝から通ってきていて、二ヶ月間くらいだったけどほぼ毎日顔を合わせていた。なぜ彼女が学校に行かずにここにいるのか、先生を含めいろんな人が聞いていたが、トレーシーの英語力の無さから誰も理解できなかった。しかし、金持ちの娘であることは確かなようで、ベトナムではすごく大きな家に住んでいたようだった(最もアジアで昼真っから英語学校に通ってこれるような人は、桁違いな富豪が多かった)。やっぱりやんちゃな感じで元気が良く、周りから少しうるさがれるくらいに騒ぐ女の子だった。そんな彼女と、二人で買い物に出たことがあった。お互い、拙い英語だけで会話する。洋服を選んで、goodかbadか、この色とあの色とどっちが好きか、何を食べるか、そんなことだけしか会話できなかったが、一生懸命伝え合うことで、すごく楽しい時間を過ごした。次の朝、学校の横のカフェで朝ご飯を食べていると、トレーシーがやってきた。昨日は眠れなかったというので何でか聞いたら、私のことを考えていたからだという。昨日はすごく楽しかったから、私をすごく好きになったのだと言った。私はその率直な物言いに大して恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になってしまったが、そのトレーシーの気持ちはすごくよくわかっていた。きっと、彼女にとっても母国語以外で誰かとこんな風に遊んだことは滅多にない体験だっただろう。生活するのも不自由な外国で、国籍も違う人と一生懸命気持ちを伝え合う。シンプルな事柄だけど、それだけに心が通じ合えたという実感は、私にとってもすごく革新的なできごとだったからだ。 そんなことを考えていたら、ヒッとボーイッシュな女の子が、スキンシップ過剰なのでは?! と思えるほど、抱き合って何かをささやき始めていた。ベトナム人って、親密度の度合いが濃すぎるのではないかい…。と、次の瞬間二人は濃厚なキスを始めた。もう一人の子は慣れているらしくさして気にもとめない。むむむ、やはりボーイッシュな子は女の子にしか見えないが…。そういえば昔、「シンガポーリアンは70%がゲイ・レズ、ベトナムも60%がそう」なんていう、ゲイに追いかけられているスリランカ人が忌々しげに言っていたことがあった。人口の半分以上がそうであれば市民権を堂々と獲得できそうなもんである。それはいい加減な情報だとしても、こんなに堂々と目の当たりするとびっくりしてしまう。よく見ると二人の薬指には同じシルバーのリングがはめられている。もう一人にはない。それが全てを語っているのだろう…。 電車はいつまで経ってもハノイに着かなかった。私は三時間くらいで着くものかと思っていたが、甘かった。隣では、乗り合わせたカップルと例の三人がトランプを始めていた。ただ居合わせただけに思えないくらいたちまちに仲良くなっている。8時間くらいたった頃、寝ている私の鼻にオレンジを近づけられたり、顔をのぞき込まれたりといたずらの対象にされてしまったが、ベトナム人の真似をして身体を叩く振りなどをして遊んでみた。ヒッに年齢のことを訪ねると、三人は18歳で高校生だといった。それよりも私が一人で旅をしていることをとても心配してくれた。「ユーマッケア」。始め、何を言っているのかわからなかったが、「ユーマストビーケアフル」と言ってくれていたのだった。 11時間くらいが経過して、やっと電車はハノイに着いた。ハノイ駅を出るまでの間、また別の女の子が私を心配して一緒に歩いてくれた。変な方向へ行こうとする私を、こっちだよ、って引っ張ってくれる。改札口で、切符が必要になって渡さなければならなかったが、ポケットのどこを探してもない。待たせるのも悪いから先に行って、と言うと、何度も何度も振り返りながら、出て行った。切符は結局見つからなかったが、通してもらえた。外は真っ暗だった。明るいうちにハノイに着きたかったのに、これでは先が思いやられる。暗い中歩き出すが、ガイドもなくネットで湖の近くに安宿街がある、という情報と、ホテルの住所一つでは、とても初めての国を歩けるわけがない。そして、恐ろしいほどのバイクの光の中、どうしていいのか全くわからなくなってしまった。一緒にハノイで降りた乗客は、それぞれバイタクと契約してどんどんいなくなっていく。諦めてタクシーに乗った。タクシーはメータを倒してくれたが、道がよくわかっていなかったようで、無線で確認しながら進んでいた。30(000)ドンほど払い、チェックしていたホテルへ行くと、満室である。45ドルで他のホテルを案内できるから、そちらに行くか? と聞かれたが、疑心暗鬼になっていた私は断った。そして、その隣のホテルを建て続けに三軒「full」と言って断られると、もう野宿するしかないのではないかという恐怖が襲ってくる。四軒目で、またしても$25で系列のホテルに案内する、と言われた。くたびれていた私は、連れて行ってもらうことに決めたのであった…。 カウンターでは、ドルで払おうとしたがお釣りがない、と言われた。ベトナムドンに両替してもいいよ、と言われたが、ベトナムに長居をするつもりはなかったので、出来る限りドルで払いたかった。そういうと、じゃあ明日払ってくれればいい、と言った。案内してくれた部屋は、ダブルベッドが一つとシングルベッドが一つのデラックスタイプだった。え?! と思っていると、「お〜間違えてしまった。ここはデラックスルームだった…」 何て言うので、普通の部屋に移る、と言うと 「OK、OK、今夜は特別だ、デラックスルームに泊まっていいよ」と言ってくる。さらには、朝食も本当はなしだけど、特別につけてあげるよ…。 電車の中でベトナム人にすっかり親切にしてもらった私は、すっかりその気になってしまい、握手しながらセンキュー、なんてことを言ったが、よくよく考えてみると、ホテルマンが部屋を間違えるなんていうことが本当にあるだろうか。さらにはおまけの朝食。これは、デラックスに泊まった人のみが得られる権利である。そして、私はまだお金を払っていない…。私は急に不安になった。明日の朝、いざチェックアウトをしようとすると、昨日とは違う男がいて、君はデラックスに泊まったから$50だ、なんていうことを言われるのではないか?! 文句を言って払わないでいたら、裏に連れ込まれてぼっこぼっこに…?! 考えれば考えるほど、全てが計算された騙しの様な気がして、恐ろしくなる。私は、せっかくのデラックスだというのにシングルベッドの方へ寝て、シャワーも浴びず、明日へ向けて、気持ちの戦闘態勢の準備に入るのだった。でも、疲れ切っていたため、あっという間にぐっすりと寝入ってしまった。 戻る 旅行記目次 次へ |