十一日目 中国 北京 天安門広場

城市青年飯店を出たのは、朝の九時。朝は、ユースの下のレストランで同室の外人さんとバイバイと言ってはまた出くわしてを繰り返し、アゲイン…、とか言われて気まずい笑いを何度か交わしながら、宿を出た。そこから切符売り場に向かうが、何か北京の切符売り場は非常にわかりづらい。大連の方がずっと整然としていた。 何個も窓口があるから、どこで買っていいのか迷ってしまう。私の意志が伝わっていないのか、あちらのやる気不足なのかはわからないが、一つの所で没有でも他の所では有だったりする。ただし、座席のパターンを指定してそれがないと、そこで没有になった人もいるので、別の席でもいいです、とか、何の席でもいいです、みたいな中国語も用意しておけば良かった。そういえばダイソー中国語の会話ブックがあったが、あれは買っておけば良かったなと心底思った。本当は午前中の便でささっと行ってしまいたかったのだがもう取れなかったので、結局19:54発の北京発上海行きを取った。12時間くらいかかるらしいので、昼間の時間だと夜の2時とかあり得ない時間になってしまうので、こうするのがベストだった。

夜までぽっかり時間が空くことになったので、駅に荷物を預けて、昼間は前門駅前すぐのラーメンを食べて、毛主席記念館と、天安門広場、故宮博物館を見学することにした。故宮の中は40元。先日の日記にも書いたが、イマージュに収録されている故宮という曲は、ずっと大好きだった曲で、様々な郷愁のある曲なのだが、実際の故宮は…。韓国客があまりにも多すぎた。郷愁どころではない。中国悠久の歴史やラストエンペラーなどを彷彿させてくれなかった。まず、故宮に向かうものすごくだだっ広いアスファルトに、あらゆる人種のツアーや団体さんたち、個人旅行者たちが混在している。このひとたちがみんな故宮に向かうのかと思うとかなりしんどくなる。しかも目指す故宮はなかなか着かないし。やっと着いたと思いきゃまたでかくて終わりがない。なんだかな、日本の話で恐縮だが、途中にあんず飴やらソースせんべいのお店なんかがあってくれたら嬉しいのにな…なんておかしな考えまで出てくる始末。そうでなくても屋台がずらっと並んでも楽しいと思うのに。中にはいろんな博物館もあったのだが、結局どれも見なかった。本当は、楊貴妃とか、則天武后、宮中女の博物館は、かなり興味があったのだが、後で引き返そうと思っていたら引き返せないところまで進みすぎてしまったため、断念した。ここのお土産物屋さんでは、亀のきれいな入れ物を30元で買った。女官たちの風水トランプも、今思い出すと買えば良かった…。いつか旅仲間とトランプする、なんて日もやってくるかもしれないし。次10元で見かけたら買おう。しかし、お酒だか香水だかの、内側に中国風の絵の描かれている入れ物が30元で売っていたのだが、全く同じ物がダイソーで売られているのを知っているこちらとしては、ちょっと申し訳なくなった…。本来、お寺とかお城とか、そういうの大好きなんだけど、さすがにここまで人口密度が高いと残念だったな。でも、その先に、緑が多い公園があったのだけど、山の上にも大仏殿があって、そこまで上れるようになってるのね。もちろん上まで上ったけれど、見晴らしが最高によかった。前方の故宮の屋根が連なっているのが見渡せて、圧巻なのだ。ここまで来て初めて、見に来てよかったなあって思えた。しかし、ちょうど長城でカメラの電池切れという悲しい結末だったけど…。

北京駅に着いてからまだ時間があったので、吉野家に入った。うん、割と同じ味していた。かつてシンガポールで食べたチリ入りのものとは大違いである。その後、昨日行った漫画喫茶にまた行った。そこには、中国人にしては珍しくいつもにこにこしている男の子がいた。席まで案内してくれて、登録番号も入れててくれる。ここのワンバ(ネットカフェ)は、昨日もそうだったが、外国人だとガイドさんをつけてくれるようだ。その辺は、大連などより外人の数が半端ないから慣れているのだろう。その子が、途中で、文字入力を日本語に変えてくれたり、話しかけてきてくれた。でも、ずっと後ろにいてブラウズ内容まで見てくるのはさすがにちょっと嫌だったけど。お店を出るとき、その子がたどたどしい日本語でさようなら、と言ってきた。なんか、言い方はかわいかったど少し切なくなった。面と向かって日本語のお別れの形にされると、北京ともも本当にもうさようならなんだな、という気持ちを実感させられる。ものすごく嫌いではないけど、何度も来たくなるような魅力は私には感じられなかった、北京。きっともう二度と、自発的には来ることはないだろうと思う。さようなら。

北京駅の中は、さらに猥雑だった。待っている人用の椅子がないから、みんな地べたに座って待っていた。私も同じようにしながら、もう、中国から早く出たいという思いになっていた。沢木耕太郎は、香港の熱気に魅せられていたが、私にも同じような体験ができるとはちょっと思えなかったし、香港へ寄っていく気にはなれなかった。それより、日本とほぼ変わらない意識を持ちながら、ふと何しに来たのだろう、と考えることが多くなってきてしまった。飛行機に乗らずにきたせいで、日本から遠く離れた外国に来ている、という実感がないせいかもしれない。今は、暑いところに行きたい。



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